60年代のテレビ

仮面の忍者・赤影

[1967(昭和42)年4月5日〜1968(昭和43)年3月27日]
[関西テレビ・フジテレビ系放送・カラー・全52話]

 私の手元にある朝日ソノラマのソノシートの解説本によりますと、「仮面の忍者・赤影」は「伊賀の影丸」や「鉄人28号」「魔法使いサリー」などの作者である横山光輝が『週刊少年サンデー』に連載しているた漫画だったそうですが、私自身は、少年サンデーで、この赤影を読んだ記憶は全くありません。「伊賀の影丸」も『週刊少年サンデー』の連載でしたから、「伊賀の影丸」に続いて連載されたのが、この「仮面の忍者・赤影」だったものと思われます。
 連載漫画の記憶は全くありませんが、この「仮面の忍者・赤影」のテレビドラマについては、私は、ほとんど毎週のように見ていた記憶があります。いわゆる時代劇としては、非常に斬新というかモダンな感じで、ストーリーの展開もスピーディーで小気味よかったという印象が強く残っています。
 ということで、本来であれば、「60年代のマンガ」で取り上げるべき作品なのかもしれませんが、私の記憶の中では、主たるメディアがテレビだったという認識になっておりますので、この「60年代のテレビ」の記念すべき第1弾として、「仮面の忍者・赤影」を取り上げさせていただきます。
 ただ、ほとんど毎週見ていたはずの割には、情けないことに、どういうストーリーであったかという骨格の部分などは、残念ながら、もう、ほとんど何も覚えていません。記憶に残っているのは、主人公の赤影を演じていたお兄さんが、時代劇らしからぬバタ臭い顔をしていたこと、白影を「隠密剣士」の霧の沌兵衛であまりにも有名な牧冬吉さんが演じていたこと、青影役の少年は白土三平の漫画「ワタリ」が映画化された時に主役に抜擢され、私もその映画を心待ちにして見に行ったこと、などだけです。

 そこで、手元にある各種の資料を参照しながら、この「仮面の忍者・赤影」がどういう番組であったかを、簡単におさらいしてみたいと思います。
 番組自体は関西テレビの制作、実際の撮影は東映京都テレビプロの手によるもので、東映は、この時期、東京製作所では「キャプテンウルトラ」を制作していたそうですから、東でSF特撮番組、西で忍者特撮番組を同時並行で制作していたことになります。
 ストーリーとしては、飛騨忍者の赤影、青影、白影が木下藤吉郎の命を受けて霞谷七人衆を相手に戦うというもので、基本的な展開は、「伊賀の影丸」に近いものだったのではないかと思われます。
 ただ、テレビ映画の方の配役を見てみますと、木下藤吉郎に大辻司郎、竹中半兵衛に里見浩太郎が起用されており、それなりの役者が脇を固めていたということは言えるようであります。肝心の主人公たちですが、赤影は東映のホープ坂口祐三郎、青影が金子吉延、白影が牧冬吉でした。
 テレビの脚本は、全話とも、井上勝という脚本家で、この人は、「遊星王子」でデビューし、「ジャガーの眼」「快傑ハリマオ」「隠密剣士」なども手がけていたといいますから、初期の主だった子供向けテレビドラマはこの人の手によるものだったわけです。
 考えてみると、昭和40年前後に「伊賀の影丸」も松方弘樹の主演で、確か、東映で映画化されているはずですが、こちらの方は、私にはリアルタイムでの記憶は、逆に、ほとんどありません。ですから、「伊賀の影丸」は映画がマンガほどにはヒットしなかったのに対し、「仮面の忍者・赤影」はテレビ映画ほどにはマンガはヒットしなかったというようなことになるでしょうか。



 コロンビアから出ている「名盤復刻!朝日ソノラマ・特撮テレビ映画全集」の解説書では、この「仮面の忍者・赤影」について、次のように紹介されています。

 「東映京都が『大忍術映画・ワタリ』『怪竜大決戦』の経験を十二分に生かして製作した特撮TV「赤影」の魅力は何といっても特殊撮影を駆使した奇想天外な忍術アクションと赤影、青影、白影3人のキャラクター、そして敵忍者の魅力があげられ、小川寛興の活劇BGMも素晴らしかった」

 この音楽を担当していた小川寛興という人は、倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」、中村晃子の「虹色の湖」などのヒット曲の作曲家でもあり、NHKの連続テレビ小説「おはなはん」の音楽を担当したことでも有名です。1965(昭和40)年には、「さよならはダンスの後に」で第7回日本レコード大賞作曲賞も受賞しています。

 こうした忍術モノ時代的というか妖術系時代劇、あるいは、オドロオドロ系時代劇というか、そうした時代劇の子供向け映画やテレビ番組の系譜というようなことで考えてみると、私のイメージの中では、「紅孔雀」であったり、「変幻三日月丸」であったり、「怪竜大決戦」だったりするわけですが、この「仮面の忍者・赤影」の場合は、そのオドロオドロ的系譜を踏まえながらも、やはり、昭和30年代から昭和40年代に時代が移っていたことも大きかったのだろうと思いますが、より洗練されたオドロオドロと言いましょうか、何か、そういったアカ抜けた雰囲気というものを持っていたような印象があります。
 また、忍者漫画というジャンルで考えてみると、劇画の流れを汲む白土三平がその先べんをつけた世界であり、白土三平には、代表作である「忍者武芸帳」「カムイ伝」といった重目のものがある一方で、より子供向けに書かれた「サスケ」や「ワタリ」「風魔」といった軽目のものまで幅広い作品群がありました。そして、より子供向けの忍者漫画ということでは、横山光輝の「伊賀の影丸」がパイオニア的存在であり、白土作品の「サスケ」や「ワタリ」などは、逆に、「伊賀の影丸」に触発される形だったのではないかという気がします。その子供向けの忍者漫画の流れの中に、私の好きな「風のフジ丸」なんかも位置していました。
 そういう流れを考えると、この「仮面の忍者・赤影」という作品は、昭和30年代前半から昭和40年代前半に至るまでの忍者漫画の掉尾として、漫画では今ひとつでしたが、テレビ界では特撮技術もそれなりに定着してきたという時代背景の中で、非常に絶妙なタイミングで産み落とされた作品だったと言えるのではないかという気もしてくるわけです。
 ということで、「仮面の忍者・赤影」にリクエストをいただいた東京都武蔵野市のSOさん、こんなところでいかがでしょうか。
 年齢的に推察すると、私が「変幻三日月丸」や「風小僧」などに対して、幼かったことや近所の家に見せてもらいに行っていたことなどにより、その番組の輪郭が曖昧なままになっている部分をクリアにしたいと思っているのと同様の気持ちを、この「仮面の忍者・赤影」に対してお持ちなのではないかと思われましたので、私だったら、「変幻三日月丸」や「風小僧」をこんな風にクリアカットして欲しいというようなノリで、このページを作ってみました。
 また、ご意見・ご感想などいただければと思います。




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