牧 冬吉さん追悼特別企画

牧さん、あなたは、間違いなく、私たちのスタアでした

 現在、40代の私たちの世代にとっては、「隠密剣士」の“霧の遁兵衛”役、あるいは、「仮面の忍者・赤影」の“白影”役で
親しませていただいた牧冬吉さんが、先月27日(1998年6月27日)、亡くなられました。
 既に、この「60年代通信」の「60年代のテレビ」でも取り上げさせていただいている「快傑ハリマオ」や「仮面の忍者・赤影」をはじめ、「豹(ジャガー)の眼」、「恐怖のミイラ」、「柔道一直線」など、60年代の子供向けテレビ番組で名脇役として
活躍した牧さんは、私たちにとっては、文字通り、60年代のテレビそのものでありました。
 これから「60年代のテレビ」で取り上げさせていただこうと思っている作品も幾つかあり、その予告編というような趣きにもなってまいりますが、亡くなられた牧さんを偲びつつ、それぞれの作品を振り返り、牧さんのご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

 まず、事実関係の押さえとして、先月29日付の朝日新聞の朝刊・社会面に掲載された牧さんの死亡記事を引用させていただきます。
【牧 冬吉(まき・ふゆきち)=俳優、本名岡村信行=おかむらのぶゆき)27日午後9時4分、間質性肺炎のため京都市の病院で死去、67歳。葬儀・告別式は30日正午から京都市東山区五条橋東3の390の公益社ブライトホールで。喪主は妻登美子(とみこ)さん。自宅は京都市山科区安朱馬場ノ東町11の5。
 秋田県大館市生まれ。新劇俳優を経て、60年ごろからテレビ界に転進。「隠密剣士」の霧の遁兵衛、「仮面の忍者赤影」の白影など、アクション時代劇を中心に、テレビ・映画の名わき役として活躍した】

 新聞記事にもある通り、牧さんは、秋田県の出身で、高校卒業後、前進座、舞芸座なを経て、1959(昭和34年)にテレビデビューを果たしています。
 その記念すべきデビュー作品が、「豹(ジャガー)の眼」でありました。私にとって、この「豹の眼」は、テレビ番組の原点のような作品でありまして、確かに、「月光仮面」とか「七色仮面」、「アラーの使者」、「変幻三日月丸」などと同じように、まだ、実家にテレビがない頃に放映されていたため、1軒おいて隣りのヨシカズちゃん家で見せていただいたことをかすかに覚えているだけで、リアルタイムで鮮明に記憶されているようなものではありませんが、他の番組が正確な放映時間を覚えていないのに対し、この「豹の眼」だけは、武田薬品がスポンサーだった黄金の時間枠、日曜日の夜7時からの放送だったことを、しっかりと意識していた番組でした。
 つまり、私の記憶の中では、後年、「隠密剣士」「ウルトラQ」「ウルトラマン」と名作が続くことになる時間枠の最初の番組として位置づけられているのが、「豹の眼」なのであります。この時間枠の名誉ある第1号番組は、実は、あの「月光仮面」だったらしいのですが、残念ながら、私が曜日とか時間の認識を持つ以前だったらしく、「月光仮面」については、そういう記憶は全く残っていません。
 何れにしても、牧冬吉さんは、この「豹の眼」で“殺し屋ジョー”という悪役を演じていたそうであります。番組自体の記憶はありませんが、私が子供時代に遊んでいたメンコの絵柄に「豹の眼」も入っておりまして、その記憶は鮮明に残っています。

 続きましては、既に、「60年代のテレビ」のコーナーでも取り上げさせていただいている「快傑ハリマオ」です。
 手元の資料によりますと、「豹の眼」の放送期間は、1959(昭和34)年7月から1960(昭和35)年3月までで、この「快傑ハリマオ」は、1960(昭和35)年4月から1961(昭和36)年6月までの放送でした。
 「豹の眼」は、少年向け活劇テレビドラマとしては、初めて、船上での撮影やクレーンを使用するなどして、作品にスケールの大きさを与えていたと言われていますが、「快傑ハリマオ」も同様のことが言えるような気もします。
 また、「豹の眼」が、ジンギスカンの秘法をめぐってストーリーが展開されていたこと、「快傑ハリマオ」が東南アジアの小国の独立運動を助けるために立ち上がった一人の日本人青年を軸にストーリーが展開さえていたことなど、どちらの作品も、ある種のエキゾチシズムを漂わせていたという点でも、共通していたように思います。
 牧さんは、この「快傑ハリマオ」で、キャプテンK.K.という海賊役を演じておりました。画像にもある通り、典型的な海賊の船長のステレオタイプというような役どころだったようであります。

 続きましては、私たちの世代を文字通り恐怖のどん底に突き落としてくれた名作「恐怖のミイラ」であります。
 私の記憶によりますと、この「恐怖のミイラ」というのは、「快傑ハリマオ」の後番組で、スポンサーも、「快傑ハリマオ」と同じ、森下仁丹だったと思います。
 タイトルバックでは、夜の町をあるくミイラの包帯ぐるぐる巻きの足だけがアップになったり、ビルの町並みにミイラの影だけが写しだされるというような映像が流れ、番組の本編に入る前から、幼い私たちを震え上がらせたものでありました。小学校高学年になっても、夜、一人でトイレに行くことができないほど臆病だった私の場合、この番組については、確か、2〜3回見ただけで、あまりの怖さに、テレビを見るのを止めてしまった記憶があります。
 その「恐怖のミイラ」に、牧さんは「チンピラのサブ」という役で登場し、画像にもある通り、ミイラ男に首を絞められ、あえなく最期をとげてしまわれております。

 そして、いよいよ、「隠密剣士」であります。
 恐らく、牧冬吉さんにとっても、生涯を通じての代表作の一つとして位置づけられる作品でありましょうし、私たちの世代にとっても、牧冬吉という名前を記憶した作品としては、最も強烈なインパクトを残している番組ということになると思います。
 「隠密剣士」は「豹の眼」の後番組で、さきほども書かせていただいた通り、武田薬品がスポンサーの日曜日夜7時からの時間枠で放送されました。
 私の知る限りでは、この「隠密剣士」が牧さんにとっても、初めての時代ものだったのではないかと思われますが、とにかく、この霧の遁兵衛は、役どころとして見事にはまっていたように思います。
 記憶に基いて振り返ってみますと、確か、霧の遁兵衛は、最初、大瀬康一が演じていた隠密剣士の敵役として登場し、途中から、改心して見方になるというような展開だったと思います。この画像にあるような黒い装束を身に纏っているのが伊賀流忍者で、グレーの装束が甲賀流忍者というようなことになっていたと記憶しています。何しろ、白黒テレビでしたから、必然的にモノクロの世界でしか色の表現の仕様がないわけで、本当は、もっと、カラフルな衣装だったのかもしれませんが…。
 改心して見方になったのはいいのですが、霧の遁兵衛は、やたらに、隠密剣士の敵方に捕われてしまうことが多く、拷問を受けたり、宙づりにされたりして、牧冬吉さんが口からヨダレをだらだらと流しているような場面ばかりが、なぜか、瞼に焼き付いております。それと、走る時に、手を振らずに、体の脇にぴったりと手をつけて走る“忍者走り”(という言い方があるかどうか分かりませんが…)は、この「隠密剣士」で牧冬吉さんが演じていた霧の遁兵衛で覚えた、という人は、私たちの世代には、少なくないのではないでしょうか。
 さらに、個人的な思い出を書かせていただくと、この霧の遁兵衛を演じていた頃の牧冬吉さんによく似ていた同級生がおりまして、霧の遁兵衛を見ると、実家が燃料店をやっていたY君のことを思い浮かべてしまいます。

 最後に、紹介をさせていただくのが「柔道一直線」であります。
 放映時期は、1969(昭和44)年6月から1971(昭和46)年3月までですので、60年代も末の作品ということになりますが、牧さんは、この「柔道一直線」で嵐先生を演じておられました。

 このほかにも、「河童の三平」の“甲羅の六平”役、「変身忍者・嵐」の“タツマキ”役など、牧さんは60年代〜70年代にかけて、テレビの少年向け活劇ドラマはもちろん、映画などでも、多くの作品で活躍をされました。
 今後、この「60年代通信」でも、「60年代のテレビ」や「60年代の映画」などのコーナーで、様々な作品を取り上げさせていただく時にも、牧さんが出演された作品については、その都度、色々な形で牧さんについても言及させていただくことになると思います。

 最後に、改めまして、牧さんのご冥福を心から御祈り申し上げます。
《主宰者注》
 このページをアップさせていただいてから約2年半後となる2000年12月20日にTTさんという方からメールをお送りいただき、このページで書かせていただいた内容につきまして、私の事実誤認をご指摘いただきましたので、皆様に慎んで、ご紹介させていただきます。

Subject: 牧冬吉さんの追悼集について
Date: Wed, 20 Dec 2000
From: TT
 いつもHP楽しく拝見させていただいております。
 牧冬吉さんの追悼集拝見しました。
 怪傑ハリマオ、隠密剣士について、貴兄に誤解があるようなので、訂正させていただきます。
怪傑ハリマオについて
 怪傑ハリマオは第1部〜第5部まであり、牧冬吉さんは第1、3、5部に出演しています。
 第1部では、キャプテン、第3部では片足ブラックとしてハリマオの敵役を演じていました。
 第5部では一転して、ハリマオの味方役となります(役名は失念しました。)。この第5部では、なんと、豹の眼の天津敏が、ハリマオの片腕役(第1〜3部では、中原謙次郎演じる「ドンゴロスの松」に当たる役です。)の村雨五郎を演じていあたのが印象的です。
隠密剣士について
 牧冬吉さんは、第2部の「甲賀十三人衆」で、甲賀忍者黒兵衛として、まず登場します。最初は敵役ですが、後に味方になるというのは、遁兵衛ではなく、黒兵衛です。霧の遁兵衛としては第3部「忍法伊賀十忍」から登場し、最初から秋草新太郎の味方です。
 なお、「忍法伊賀十忍」の敵役のボスはハリマオの勝木敏之です。遁兵衛は隠密剣士終了後も新・隠密剣士に登場します。
 また、ハリマオ欄で不明としておられた俳優は「大竹タモツ」で。同氏は隠密剣士「あやつり忍法帖」で敵のボスを演じていました。
 以上、僭越ですが、今後とも、楽しいHPを提供していただけるよう、応援しております。

 …ということでありますので、事実誤認がありましたことを、皆様にお詫び申し上げると同時に、慎んで、訂正させていただきたく、よろしくお願い申し上げる次第です。
 TTさん、貴重なご指摘、本当に、どうも、ありがとうございました。










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